佐世保で朝を迎えた。そして今日は遠藤周作の「沈黙」の舞台となった外海を回る。
佐世保では早朝に三浦町教会堂に寄った。
昭和6年に建てられ、1945年の佐世保大空襲にも負けず、奇跡的に生き残った佐世保のシンボルとも言える三浦町教会堂である。
佐世保駅前の小高い丘の上に聳え立ち、そのゴシック建築の美しさが素晴らしい。
教会堂横のルルドでは手をあわせる聖母マリアとベルナデッタの像があり、「コロナ禍での見守りのための祈り」が捧げられていた。
佐世保からハウステンボスを通り抜け、西彼杆半島へ。西海市から見た角力灘に浮かぶ島々に、何か楽しくなる。
外海地区に入った。まずは大野教会堂へ。大野教会堂は、明治26年に26戸の信徒を基として建てられた。
大野教会堂はロザリオの教会で、それを象徴してマリア像が教会を見守っている。
ド・ロ神父が建てた教会で、自然石を積み重ねた「ド・ロ壁」という石組が今でも健在である。
大野教会堂では、毎年10月第1日曜日だけの年1回のミサが行われているという。この教会に連なる信徒は8所帯。深い祈りに満ちた教会であった。
次に出津教会堂へ。小高い山の斜面に建てられている。
出津教会堂の近くには、ド・ロ神父が困窮を極める村人たちを救うために設立した明治初期の授産施設がある。旧出津救助院で、特に女性自立支援のための作業所として建てられた。
1階の作業場に展示されていたド・ロ神父の日々の帳。ここには地元の人が話す発音に即した日本語のローマ字書きで金銭の出し入れを日記形式で記録されている。
そうめんの作り帳もあった。その日の気温や湿度によって最適な量の水や小麦の量などを克明に記入してある。
救助院の2階は、ここで働く女性たちが寝起きし、また主に仕立てをする仕事場として使われていた。
フランスから取り寄せた時計は、15分ごとに鐘が鳴り、そのたびに女性たちは祈りを捧げていた。
そして遠藤周作文学館へ足を運んだ。文学館の眼前には外海に自然が。
「アンシャンテは空と海と自分に出会う場所」というコンセプト。
遠藤周作が初めてここに来た時に、この外海の広大な海を見ながら「神様が僕のためにとっておいてくれた場所だ」と喜んだ夕日がとても美しい場所。
「人生とは何か」を考える場所でもあるとのこと。
そして次に向かうのは、遠藤周作の小説『沈黙』の舞台ともなった黒崎の地に建つ黒崎教会。1897年にド・ロ神父の指導で敷地が造成され1920年に完成している。
神ノ島教会堂に向かう。
神ノ島は、1960年代に海面埋め立てで九州本土と繋がるまでは、直径1kmほどの離島で、禁教時代にキリシタンが潜伏した島だったらしい。(ビックリ)
禁教令が解かれた後の1876年にブレル神父により仮の聖堂が建ち、 1881年にラゲ神父によって木造の聖堂が建てられた。その後1897年に、デュラン神父が私財を投じて現在の煉瓦造りの教会堂を建てた歴史がある。
教会下の小さな岬に建っている「岬の聖母像」が航海する船の安全を見守っている。
充実した1日だった。
ド・ロ神父のことがよくわかり、遠藤周作文学館においてあった「ド・ロ神父と出津の女性たち」の本を手に取りたくなった。
出津はこれでお終い。