朝8:15のフライトで長崎へ。今回の旅もキリシタン殉教の地を求めてが目的である。
飛行時間2時間であっという間に長崎空港。
レンタカーでまずは茂木港へ向かった。あらかじめ調べておいた茂木のおいしい食事処に行くためだ。茂木港で上がった魚のコチを活造りで食べた。
身がしっかりしていて甘くおいしい。ここまで来た甲斐があったというもの。
茂木から長崎市内へ。まずは日本二十六聖人殉教地を訪ねた。西坂公園にあるレリーフは祈りが込められていて胸に迫るものがあった。1597年2月5日、西坂の丘で神を讃え、その福音の教えの心理を証明しながら、十字架上に聖なる最期を遂げた二十六聖人。
12歳で殉教した聖ルドビコ茨木は、役人から「キリシタンをやめれば許してやる。」といわれたのに対し、「神のもとでの永遠の命に比べたら、ぼくの短い命なんて惜しくない。」という答えを堂々と返し、小さな十字架を見つけて「僕の十字架、ぼくの十字架」と喜んで、その十字架を抱きしめ磔となって死んでいった。死んで行くとき、彼は澄んだ声で「パライソ、パライソ、ジェズス、マリア」と叫び続けたという。
レリーフの隣にある聖フィリッポ教会。二十六聖人が実際に殉教した場所に建てられている。
二つの塔は、高さ16m。左の塔は祈りと賛美の塔、右の塔はお恵みが下がってくる塔で、聖霊のたまものを象徴している。
祭壇の台座。26の十字架が囲むアルファとオメガ。「永遠の神」を示している。26の十字架は、神を礼拝し、賛美し、感謝をささげている。
礼拝堂。
聖トマス西と15殉教者は、ドミニコ会司祭、修道士、修道女、彼らを助けた信徒たちで、キリシタン迫害の1633年~37年に、長崎で殉教した人々。
大浦天主堂は、19世紀の日本の開国に伴って長崎にできた居留地の外国人のために、1864年にフランス人宣教師が建てた教会堂。そして16世紀に長崎で殉教した日本二十六聖人の殉教地の方向に向けて建てられている。
献堂直後の1865年、長崎近郊の潜伏キリシタンが、ひそかに大浦天主堂を訪れて宣教師に自分たちの信仰を告白した。「信徒発見」と呼ばれ、礼拝堂内のマリア像の下での出来事であった。
旧羅典神学校。1875年に日本人神父養成のために建てられた。
日本西洋料理発祥の地であり、日本西洋料理の開拓者草野大吉の像があった。