日本からチリに

 2024年12月22日

 出国してから約31時間かかってチリに到着した。成田からシカゴへ向かい、シカゴからヒューストン経由でサンティアゴというコースであった。心配だったのは、シカゴでのトランジットの時間が2時間しかなく、しかも一度アメリカへ入国をして、荷物をピックアップした後また預けなおしをしてからターミナル移動なので乗り遅れたらどうしよう・・・ということ。そしてなんと成田の出発が30分遅れとなってしまい、スタートから焦ってしまった。

 でも大好きな飛行機時間。考えてもしょうがないと言い聞かせ、快適な12時間を過ごす。何よりANAのCAさんから素敵なプレゼントをいただいたことがとても嬉しかった。

CAさんからのプレゼント。

 この1年間の苦労を何とか乗り越えることができたご褒美と思ってCAさんに感謝だった。本当に、本当に。

 シカゴには20分遅れで到着した。シカゴはちょっと複雑。そして人も多い。そんな中、ANAのスタッフに手伝ってもらってうまくトランジットができたのが有難い。

 さてシカゴからヒューストンまでは3時間ちょっと。これはあっという間であったし、ヒューストンでのトランジットは同じターミナルに変更になっていたので、ゆっくりとお茶を飲むことができた。

ヒューストンに到着

ヒューストンは5年ぶり。馴染んでるわ。

 ヒューストンからのフライトは深夜便。翌朝にサンティアゴに到着だ。

 なんとなくソワソワしていつの間にかサンティアゴの到着時間が近づいてきたときに、夜が明けた窓の外にはアコンカグア山が見えてテンションが上がった。まもなくチリに着くんだと思うと興奮してしまう。

アコンカグア山

アンデス山脈が美しい。

 チリの入国審査は時間がかかった。随分と待たされやっとチリに入国できた。PDIが発行され、これはパスポートと一緒に保管する必要があり、チリ出国時にこのカードを紛失していると厄介なことになるので注意。こういうことを事前に調べておくのは大変だが、お国違いのいろんなことが勉強になる。

 ヒューストンからのフライトはとても寒く、ブランケットを2枚もお願いしたほど。チリの地に初めて立った時には、太陽の陽がまぶしくて、冷え切った体には太陽の温かさが嬉しかった。

 とはいえ、今日のサンティアゴは気温30度である。夏の太陽と空気とそして多くの人々で今の季節は活気的。乾燥しているので日陰に入ると涼しい。

 荷物をホテルに預けすぐに街に飛び出した。

 旧市街はほぼ碁盤の目のようになっていて分かりやすい。地下鉄もバス路線も充実しているが、ほとんど徒歩で回れると思う。

 まずはサンティアゴ大聖堂に足を向けた。アルマス広場の北西側に面して大聖堂はある。アルマス広場まで来ると突然人が多くなった。

 アルマス広場は旧市街の中心にあって市民の憩いの広場にもなっているんだと思う。いろんなパフォーマンスもやっているし、露天商もたくさん出ていた。

 中央にはシモン・ボリーバル(南米大陸のアンデス5ヵ国をスペインから独立に導き、統一したコロンビア共和国を打ちたてようとした革命家)を記念した噴水。

シモン・ボリーバルの記念の噴水

サンティアゴ市の基礎を築いたペドロ・デ・バルディビアの騎馬像

こんなオブジェもあった。

 16世紀に建てられたサンティアゴ大聖堂。サン・フランシスコ・ザビエルの木像があるのだが、今は公開されていなかった。

サンティアゴ大聖堂

大聖堂の祭壇。 チリが熱心なカトリック信者が多く、人々の精神的な支えになっている大聖堂だ。

銀の聖堂

クリスマスコーナーはどこの教会にもある。

 12時からの礼拝に出席することができた。大勢の信徒が集まっていた。

大聖堂から歩いて2~3分の所には裁判所がある。

 チリでの初の食事はチリ料理専門店に。スペイン語で書かれていて、店の人も英語を話せる人がいない。米や野菜が入ったスープをオーダーしたが、香草がたっぷり入っていて私はだめだったわ。

ホテルへ戻る途中にある聖ドミニコ教会。残念なことに今日は閉まっていた。

 日本との時差は12時間。サンティアゴは12時間遅れだ。夜8時を過ぎてもまだまだ明るい。

ホテルの前は小公園。

 チリ・サンティアゴでの1日目は終了した。学ぶことが多く、大げさに言えばこれからの人生に影響が多い体験が始まった。