戸隠33窟のうち、一番西にあるはずの大多和窟。何回探しに行っても見つからない。ネットで調べると、ガイド付きでの大多和窟行きがあることも知った。しかし大多和窟の場所が分からない。頼りになるのは「戸隠村石造文化財」の本で、掲載されている地図を確認しながら登っていくのだが、今まではすべて空振りだった。
4回目のリベンジで大多和窟探しに出かけた。再度「戸隠村石造文化財」の地図と調査隊の記録を読み込んだ。
2024年10月20日 ルート図
歩きなれた林道から不動沢へ降りていく。ここまでは間違えることはない。不動沢を遡行していくとやがて百丈沢と不動沢の二俣。二俣を不動沢本流に入っていく。ここまでも問題ない。
今回、尾根に取り付く場所を前回下降した尾根の右側と決めておいた。しかしである。何か目印があるとその目印に沿って登っていきたくなる。今回はそれが失敗だった。初めて大多和窟探しに来た時のルートに引き込まれてしまった。
急斜面にある窟だが、初めて大多和窟探しの時に来ている窟だ。
違うことに途中で気が付き引き返す。時間のロスが多かった。気を取り直して、最初の計画通りの尾根の基部から登り始めた。しかし目的としていた岩には窟がなかった。
目的としていた岩。
その岩からは上には登れないので、少し戻り尾根に取り付いてみた。
戸隠村石造文化財の地図では、取り付いた尾根の1270mのラインにあるようになっている。1270mに到着したが、そこにも窟はなかった。
正面には本院岳からせり出しているピーク。
今回も残念でした。これで大多和窟は来年の楽しみだわ。
不動沢に戻り堰堤近くまで沢を下った。急斜面を登り上げ林道に戻る。振り返ると西岳に続く尾根がよく見えた。
西岳への尾根。手前の尾根がダイレクト尾根。
左奥には一夜山。
初めての花。名前は分からない。
キンサイ
キンサイ
クロズルの花の終わり。