隠岐諸島の旅NO1海士町

 島が好きだ。そして海岸端に奇岩があるともっといい。突然隠岐の島に行ってみたくなった。隠岐は約600万年前の火山活動によって形成された、大小180余りの島々から成り立っている諸島。隠岐諸島は大きく島後と島前に分かれ、島後は隠岐の島町、島前は中ノ島、西ノ島、知夫里島をさすらしい。

 4泊5日で計画をしたが、往復で2日間取られるから、実質3日で回るようになる。島間の移動はフェリーで本数が少ないので、結果、中ノ島(海士町)と島後の隠岐の島町をじっくり回ることにした。

 朝7:10のフライトで羽田から出雲経由で隠岐空港へ。隠岐空港からバスで西郷港に移動して、フェリーで中ノ島(海士町)の菱浦へ渡った。

 海士町へのフェリー出発時間までに2時間ほどあったので、フェリーターミナルからも近い御碕神社に行くことにした。

 2日ほど前にタブノキの話を聞いた。神社に植わっていることが多く、天照大御神に関連があるとのことだ。隠岐の島には神社が多い。出かける前にタブノキが植えられている神社を探したら、 御碕神社が出てきたのだ。

 先にフェリーのチケットを購入して西郷ターミナルから歩きだした。

徒歩10分ぐらいで目的の御碕神社に到着した。御碕神社は創建1619年で主祭神は天照大御神。

 事前に手に入れた御碕神社のタブノキの写真を手掛かりにその木を探したが分からなかった。既に伐採されているとも書かれていたので、これかなと思われる基部の写真を撮ってきた。

御碕神社から供養坂を登っていったら桜が咲いていた。

寿坂を下って出雲大社西郷分院へ。明治維新の時に新しい時代を夢見て戦った若者たちの情熱と非業の死を記念する神社。

まもなくフェリーが出る時間。ターミナルに戻ると乗船予定のフェリーが待っていた。

島後を離れていく。

海は穏やかだけれども結構揺れて、船酔いしそうな人は横になっていた。2等室だったし。

2024年3月30日 ルート図

中ノ島の菱浦港に到着した。レンタカーですぐに出発。少し走ったら対岸に菱浦港のターミナルが見えた。

まずは中ノ島・海士町の最南端の木路ヶ埼灯台へ行ってみた。

木路ヶ埼灯台から西方面。右が西ノ島で左が知夫里島。正面の海は島前の内海というらしい。

灯台の広場には椿の木が。

椿の花

灯台の左奥に見える、お饅頭の形をした島は大波加島でその前に竹島。この竹島は知夫里島の竹島で、問題となっている竹島とは違う。

 十分楽しんで次の場所に移動する。途中車ですれ違った時に地元の人が話しかけてくれた。細い道なので車同士ギリギリのところで窓越しにいろんなことを教えてくれた。さっきの大波加島と竹島のことも、その地元の人に聞いて分かったこと。

 海士町は後鳥羽上皇にゆかりが深く、初めて後鳥羽上皇がこの島に上陸したときに一晩泊ったところが三穂神社で、その後隠岐神社で20年過ごしたということも聞いた。通り道だったので三穂神社に行ってみることにした。

 ちょうど神社に着いた時に、先ほどの地元のおじさんがわざわざ来てくれて、神社を案内してくれた。三穂神社の裏側には戎神社があって、このわきを通って三穂神社に行った。

戎神社は海の安全を祈願する神社とのこと。

 三穂神社は鳥居の通りから外れたところに本殿がある。通常は鳥居からまっすぐのところに本殿が建っているのだが・・・。

鳥居の左奥が三穂神社の本殿。

三穂神社本殿

 三穂神社の中まで見せてもらった。後鳥羽上皇が鎌倉打倒に失敗し、この地に逃げ延びた時に、どの家も恐れ多くてお泊めするわけにいかないということで、最初の一夜を過ごしている。

この杉は三穂神社の御神木。

御神木にまかれている大蛇を模したしめ縄。

今日の最後はカルデラ展望台からの眺望。カルデラの説明板があったが、見た目には木路ヶ埼灯台からの眺望と同じ・・・だと思った。

宿泊先で盛り上がったライブ。なんと今夜の宿泊客での即席グループでコンサート。演奏者は全員がお客様。