2024年12月28日
イースター島について4日目。十分歩ける日は今日一杯で、明日はまたサンティアゴへ移動する。個人で頼んだガイドに場所を限定して案内してもらう予定だ。
イースター島時間があって、まず約束した時間にはやってこない。必ず10~30分は遅れてくる。分かっていても時間に来ないとソワソワするものだ。
今日のガイドは、スティーヴさんという60歳前後の人。大変強い自民族、ラパ・ヌイに対する情熱的な愛情を持っている人だった。
自分の祖先はヒバと呼ばれる、今は海底に沈んでしまったヒバ島からやってきて、神の血筋を引く人といっている。
彼によれば、ラパ・ヌイとは「大いなる暗闇」という意味で、これは自分たちが多くの迫害の中永い間洞窟生活を強いられてきたという歴史から来ているという。ラマ・ヌイの神は「マタモア(見ているの意)」といい、その最大の奴隷にして至上のリーダーであるマケマケをみ使いとして使って、森羅万象を想像し、人間を死後の世界と導き、更に地上に生まれさせる。
「モアイ」とは、「存在」あるいは「人間」という意味で、地上に生きる人はだれも本質的な人間存在(モアイ)が一時それぞれの個性を持った肉体をもって現れたものとされている。
スティーヴさんにこの話を聞くことができて、ラパ・ヌイに起きた単なる史実だけでなく、それらに感情が通った気がした。
今日の1か所目はアフ・ビナフ。
アフである祭壇と王様のモアイ。
アフである祭壇の石組が精巧で、全く隙間がない。13000年前に建築されたものとされ、これだけの建造物を完成させるには、当時の人たちはレーザーのような技術を持っていたのではないかとしばしば言われるが、ラパ・ヌイにはレザーを使わなくてもこれだけのものを組み上げることができる知恵と技術があったのだとスティーヴさんは言う。
プカオが残されている。
顔を下にして地面に倒れた女王のモアイ。
正面に見える穴の中には人骨が納められている。
アフ(祭壇)の下は必ず共同墓地になっていて、おびただしい人骨が埋葬されている。
突然スティーブさんが祈りを始めた。自分の先祖には、偉大な祭祀があり、偉大な科学者等があり、多くの偉大な人物があるといっていた。
2か所目はアフ・バイフ。
関所を抜けたら素晴らしい風景。
1722年からフリ・モアイと呼ばれるモアイ根絶の戦争があり、8体のモアイがあったとみられるが、それらは全部倒されてしまった。倒す際に、モアイの目から出る霊力を恐れてすべてうつぶせに倒した。
8体のモアイが倒されている。
3か所目のアフ・アカハンガ。アフ・アカハンガはアフ・パイプと同じだが、ここは、13体のモアイが倒されている。
モアイは小さいモアイと巨大なモアイがあり、小さいモアイは、もともとのラパ・ヌイの人が造っている。巨大なモアイは、トカゲの血が混じったモモコの像で両性の像といわれている。
小さいモアイ
南側の海沿いの眺望がすばらしい。
4か所目はラノ・ララク。
緑に覆われたなだらかな丘がモアイの製造工場跡になっている。
整備された遊歩道を歩いていく。
島内のモアイは玄武岩や黒曜石を使って、この山から切り出された。
胸のあたりまで土に埋まっている。
島s代々のモアイは21.6m。仰向けに横たわっているモアイだ。
山の上から、次に行くアフ・トンガリキが見える。
このモアイは正座をしている。顎髭を生やし、空を見上げているが、何となく愛嬌がある感じ。
最後はアフ・トンガリキ。
すぐ目に入る海岸。ここからの朝日は素晴らしいと聞いている。
16体、男女8組のモアイ。ガイドブックには15体となっているが、入り口近くにある男のモアイ像を含めて16体、男女8組になっている。
長さ100mのアフの上に建てられている。
このモアイを含めて16体。1982年に東京と大阪で展示されているとのこと。
スティーヴさんのラパ・ヌイ人としての当事者目線の話は熱っぽく、何度も繰り返し先祖自慢やラパ・ヌイの優越性を語っていたが、他では聞くことのできない話に圧倒されつつも被侵略民としての悲哀をも感じないではいられなかった。
「いつかチリに行って、チリ全土をラパ・ヌイ化して見せる!」(スティーヴさんの言葉)