コミノ島

 マルタ共和国には3つの島がある。マルタ島、ゴゾ島、そしてコミノ島だ。コミノ島はマルタ島の北にありゴゾ島と挟まれている。3.5キロ㎡の広さで、定住人口は2人だけ。ブルー・ラグーンと呼ばれるマリンブルーの海が美しいところだと知った。日帰りで島一周できると思い計画した。

 朝8:30にタクシーでコミノ島へのフェリーがでるCirkewwa(チレカワ)港へ向かった。マルタ島の最北端で、ゴゾ行きのフェリーもここから出発する。バスだと早くて1.5時間かかるので、タクシーにした。

チレカワ港から乗船した。小型船なのでちょっと緊張。

出港して5分ぐらいでコミノ鳥の聖メアリーの塔が見えだした。

フェリーはコミノ島の洞窟や洞穴の近くを走って、乗客を楽しませてくれた。

素晴らしい天気と海の色。コミノ島のBlue Lagoon(ブルー・ラグーン)港はすぐそこ。

マルタ島から乗船してきた船。

ブルー・ラグーン

奇岩もあってテンション上がる。

奇岩と洞穴。なんて素敵なんだろう。アイレット・イン・ザ・コミノと名称がついている。小島という意味。

 コミノ島の目的は、島を一周するトレッキング。どのくらい時間がかかるかわからないが、マルタ行きの船の最終時間の16:00には間に合うだろう。

遠くに聖メアリー塔が見えてきた。船の中でもよく見えた。

岬のように海に張り出している。ここを過ぎると聖メアリー塔。

聖メアリー塔。1618年にマルタ騎士団によって建てられた高さ12mの要塞。舎内には立ち入り禁止であった。

 歴史を調べてみたら面白い。

 もともとはマルタ島とゴゾ島を行き来する船を海賊から守るためのものだった。その後、マルタ騎士団で軽犯罪を犯した者が、懲罰的な任務として駐屯していた。さらに牢屋、兵舎、病院、家畜小屋に使用された。1982年から2002年まではマルタ共和国軍が監視所として使用し、現在はナショナルトラスト・マルタの管轄になっている。

 400年の間に、マルタ騎士団、ナポレオン軍、イギリス人、マルタ人が住んでいたという事実に深い何かを感じる。

かすかなふみ跡をたどって先に進んでいく。花が咲いていた。

コミノ隔離病院が出てくる。

 この病院は島で2番目に大きな建物で、1890年代にイギリス軍によって建設された。東地中海の疫病に見舞われた港からマルタに帰還するために、この人里に離れた場所に建設され、1922年、島全体がコ​​・レラ患者の隔離病院として使用されていたとのことだ。

コミノ隔離病院 から南海岸線に沿って歩いていく。対岸にマルタ島。

10分ぐらいで聖メアリー砲台に到着。

 この砲台は、ゴゾ島のマルファ防御と併せて南コミノ海峡を保護するためにフランス大修道院長フィリップ・ド・ヴァンドームによって提案され、聖ヨハネ騎士団によって 1715 年に建設された。

マルタ騎士団が作った兵舎と思われる。

ここからも絶景だ。下を見下ろすと、あそこまで行けそうな気になってくるし、この海の色が素晴らしい。

あの洞窟になっている上を歩いてきた。

息をのむ美しさだ。

 さあここからどうしようか。途中まで引き返しコミノ島の教会に行くか、このまま海岸線に沿って進んで島を一周しようか・・・。ほぼ同時に歩いていた観光客は戻っていった。

 時間はまだたっぷりある。ならばかすかなふみ跡をただって、ほとんど人が行かないルートを歩いてみよう!と決めて進むことにした。

 南海岸線から東海岸線に入る。急登になり非常に楽しい。右側は断崖絶壁で、岩の割れ目から下をのぞいても海が見えないぐらい高いところを通っているのだ。

向こうにマルタ島。東海岸から見ている。この高い絶壁の上を歩いている。

なんとなくある道を歩いた。時には道が分からなくなったりしたが、なるべく植生を乱さずに歩いて行った。前方にはゴゾ島が見える。

スイセンのお花畑が出てきた。この季節にたくさん咲く。

東から北に回り込んでサンタ・マリア・ベイの東側。サンタ・マリア・ベイでは何人かの人が泳いでいた。左の島はゴゾ島。

コミノ礼拝堂が見えてきた。エジプトからの聖母帰還礼拝堂ともいう。

 エジプトから帰国した聖家族に捧げられた小さなローマ カトリック教会の礼拝堂で、1618 年にマルタ騎士団によって建てられ、1667 年と 1716 年に再度増築され、当初は受胎告知に捧げられていた。

 この場所の礼拝堂に関する最も古い記録は 12 世紀に遡り、ロンドンのグリニッジにある国立海洋博物館と王立天文台にある当時の航海地図で見ることができるそうで、非常に興味深い。

教会の内部には入れなかった。

コミノ島の探検も間もなく終了。このような岩のアーチもあって・・。

マルタ島に変える船がやってきた。

 マルタ島に戻って42番バスでヴァレッタまで帰ってきた。2時間近くかかった。

カルメル山の聖母大聖堂。 ホテルに戻る途中にあいていた教会に入った。 夜なのに何人かの人たちが祈っていた。

2024年1月5日