マルタ島・スリーシティズ

 マルタ島時間はまだまだ続く。今日はスリーシティズへ行くことにした。

 スリーシティズとは、センクレア、ヴィットリオーザ、カルカーラの3つの都市からなっている。 ヴェレッタの初日に、アッパー・バラッカ・ガーデンから見たセンクレアの監視塔とヴィットリオーザの聖アンジェロの砦が印象的だった。

 見るだけでなく、今日は実際にそこへ足を運ぶ日。フェリーでスリーシティズへ移動した。

出発したバレッタ。

目の前に聖アンジェロの砦が迫る。

スリーシティズのフェリー港。プライベートの船もたくさん停泊している。

 フェリーから降りて、まず監視塔のあるガーディオーラ公園を目指す。

 海岸通りを歩いてくとマシュー・パンドルフィーノ – キネティック・スカルプチャーという公園。これだけでもノドカだわ。

無原罪の聖母教会があった。なんか引き寄せられて教会の前まで行ってみた。

礼拝堂内。

小祭壇も美しい。

海岸通りを歩いていったら、岩の上に建っている建物があってビックリ。

そしてセンクレアの最北端にある監視塔の下まで来た。あの監視塔に登らなくちゃ!

監視塔へと続く階段を見つけた。

途中、壁にはめ込まれていた。ここも祈りの場所。

階段を昇り詰めるとガーディオーラ公園だった。花が咲いている。

公園内にある監視塔。センクレアの岬の先端にあたる。

塔の壁に監視の象徴である耳の彫刻がある。

そしてこれも監視の象徴の目の彫刻。

監視塔からの眺望。左がヴァレッタ、右が聖アンジェロの砦。

監視塔からセングレアの中心ストリートを南下してきたら、街中にこんな空間があった。

そして目的の勝利の聖母教会。1565年のマルタ大包囲戦の勝利に感謝し、1580年ごろに建てられた聖母マリアにささげられた教会。

礼拝堂には誰もいなかった。

丸天井もきれいだ、

セングレアの中央広場。

中央広場に咲いていた花。

 海岸道路を歩いて、ヴィットリオーザへ入っていく。フェリー乗り場を過ぎてすぐのところに戦争記念館。

 英国統治時代に建てられ、16世紀には兵舎、第2次大戦時には警察署や空襲警報本部として利用された。

中に入ってみると、当時のまま残された防空壕があり印象的だった。

17世紀初頭に建てられたメイン・ゲート。

ヴィットリオーザの中心広場。

中心広場から歩いてすぐの聖ローレンス教会。1571年まで騎士団の修道教会として重要な存在だった。その後宗教裁判官の手に渡り17世紀末に現在のバロック様式に建て替えられた。

聖ローレンス教会の礼拝堂では、クリスマスソングが流れていた。

 すぐ隣にある聖ヨハネ礼拝堂。騎士団長ジャン・ド・ヴァレットが祈りを捧げるために、たびたび訪ねたという由緒ある礼拝堂。

現在は博物館になっているとのことで残念。中には入れなかった。

ヴィットリオーザを北上していく。最北端にある聖アンジェロの砦が見えてきた。

薄暗いトンネルに階段を上っていく。

紀元前1世紀ころには砦のようなものがあったらしい。1530年~1690年に聖ヨハネ騎士団により強固に再建された。

 マルタは地中海の中央にあって、石の島と呼ばれ、古くからギリシャ、エジプト、ローマ、アラビアなどの様々な文化の影響を受けた。中世ではオスマントルコの攻撃などの要塞とされた。   

 また第2次大戦下ではイギリスが支配し、ナチス・ドイツやイタリアとの戦いの全戦に置かれた。このように様々な政治体制や戦争に翻弄されてきたのが、マルタの歴史と言える。

最上階には鐘があった。

対岸にカーディオーラ公園の監視塔。

ヴァレッタを一望。

ヴァレッタ。

 中世にタイムスリップした時間はこれでお終い。来た時と同じようにフェリーでヴァレッタに戻る。

海岸沿いには数々のヨットが停泊しているここがフェリー乗り場。

ヴァレッタとは違う雰囲気のところだった。何より人が少なくていい。

 ヴァレッタに戻った。アッパー・バラッカ・ガーデンに行って、今行ってきたところを眺める。

左が聖アンジェロの砦、右端に監視塔。すごく楽しかった。

まもなく夕暮れ。イルミネーションが輝きだした。

2023年12月27日