戸隠33窟NO1

 戸隠33窟にハマってしまった。前回は裏戸隠の窟と大澤通りの下見で、一不動から裾花川源流まで下降したが、今回は表戸隠の33窟に挑戦だ。資料がほとんどなく、戸隠絵地図や戸隠道ルート図に落とし込まれた窟の位置を確認するのもかなり困難。

 一番取り付きやすいのが不動沢から鏡池の北にある窟。まずは摩崖仏まで行ってそこから軍茶利窟(第12)に行けるといい。不動窟(第10)は摩崖仏のところにあるらしい。

2023年7月16日 ルート図

 鏡池から摩崖仏を目指す。久しぶりの鏡池は戸隠をきれいに映していた。

正面に本院岳、その左に西岳とさらに左はP1。

奥社から蟻の戸渡がある尾根と八方睨み。

ツルアリドオシがたくさん咲いていた。

バイケイソウも。

バイケイソウの花の中。

 鏡池から摩崖仏までは道がついている。年間どのくらいの人が歩くだろうか。藪払いがされており、地元の人たちの篤い思いが現れている。 

道を進んで行くとどん詰まりの岩に刻まれた摩崖仏があった。

不動窟は摩崖仏の左にあったらしい。よく確認できないが、摩崖仏の左の岩の穴?

 ここから軍茶利窟をめざす。どこまで行けるだろうか。摩崖仏の基部の沢を詰めていくことにする。

6mのスラブ滝。「戸隠山顕光寺流記」には、「第十不動ノ窟 高さ百丈三重瀧有り常に・・・」と書いてあるらしい。

スラブ滝がいくつも出てきたりして。

 ちょっと気持ちが引けて、ここで引き返すことにする。後でわかったことだが、この先を横切ったところに目指す軍茶利窟があるらしい。

 気を取り直して、奥社から五十間長屋の毗沙門窟(第15)と象窟(第7)を目指すことにした。

 奥社から戸隠山登山道に入りところで遭対協隊長がいた。立ち話で33窟の様子を聞く。33窟のガイドもやっているとのことでよく教えてくれた。これから象窟に行くと言ったら、ザイルで懸垂下降したほうがいいといわれ、20mロープを持っていると言ったら足りないかもしれないなあ~と。またくじけそうになるが、まあ~偵察兼ねていけるところまでと急登に取り付いた。

ホトトギスが咲いていた。

キンレイカ

キンレイカの花の中。

五十間長屋に到着。今まで何回も戸隠山に登り、ここを通っていたが、修験者の修験の場であるという認識はなかった。

毗沙門窟 。この先を回り込んで行くと象窟のはずだが、先ほどの 遭対協隊長 によると懸垂下降が必要だとか。行けるところまで行ってみよう!

シモツケが岩の基部に咲いていた。

岩の基部を慎重に藪漕ぎしていく。途中にコモチマンネングサ。

象窟の前に立った。今日はここまでか。

あそこが象窟。ザイルなしで行けたわ。

 今日は象窟までで引き返すことにした。満足だわ。これも 遭対協隊長 に確認したことだが、旧伝奥社跡まで参道を外れたルートが昔あったとのこと。ならば奥社からの引き返しは、そのルートをたどってみたい。

 奥社から渋滞する参道を左に入った。かすかな踏み跡が途中まであったが、まもなく踏み跡もなくなり、適当に沢を横切って1495m標高点に続く尾根に乗り上げた。ここから尾根を下ると 旧伝奥社後跡。

旧伝奥社後跡への出口。

旧伝奥社跡。ここもきれいに藪払いがされていた。地元の人たちの信仰だわ。

 前回に大澤通りの一部として裾花川源流に降り立ったが、その大澤通りが奥社への参道途中にある碑から始まったといわれている。せっかくだからその碑を確認。

1862 年(文久二年)に高妻山に神鏡を建て、1864 年に大澤通りの整備に着手して 1868 年に道作りの苅分を成就させた、ということらしい。

 今まで何の気にも留めなかったことが、少しずつ自分の新しい好奇心を高めてくれた。これからが楽しみ。次回は 旧伝奥社跡 から標高点1495mを目指し、その近くの窟まで行ってみたい。