キエフNO4

2018年12月28日

 雨が降ったりやんだりの、比較的暖かい1日がスタートした。
 キエフ市内を歩き回るのは今日が最後。市内で残されていたペチュールスカ大修道院へ足を運んだ。

 地下鉄でペチュールスカ駅まで。もう乗りなれたもの。使いこなせば簡単だ。ペチュールスカ駅からは歩いて15分ぐらい。地図を頼りにす~とたどり着けた。

 ペチュールスカ大修道院は、東スラブ世界で最も長い歴史を持つ修道院で、1051年ギリシアの僧アントニオスとフェオドスィがドニエブル河岸の洞窟で修道生活を営んだことから始まる。
 修道僧たちは洞窟内で祈り、横穴を掘り続け、死を迎えた時には洞窟内に葬られた。この洞窟は今も残され、地下墓地となっている。
 洞窟を意味する「ペチューラ」が修道院の名となっているらしい。

 

 正面入り口を入りまず目に入るのが大鐘楼。高さ97mだ。

 

 中庭を少し進むと現れるウスペンスキー大聖堂。修道院の主聖堂だ。
 創建は11世紀後半だが、現在のものは2000年に再建されたものという。第2次世界大戦中の1941年11月3日、ナチス・ドイツ軍ののキエフ占領下で爆破された。
 1991年にソ連が崩壊するまでは再建できなかったことか・・・。

 

 教会前に保存されている破壊された旧教会の一部分。

 

 ウスペンスキー大聖堂の後ろに回ってみた。

 

 ウスペンスキー大聖堂の礼拝堂の主祭壇。

 

 小祭壇もある。

 

 ウスペンスキー大聖堂もすぐ近くに見える。鐘楼には大小13の鐘が吊るされていた。

 

 次に向かうは地下墓地。途中の道しるべにもなっている彫刻。

 

 修道僧たちが掘り続けた地下洞窟で、僧たちの遺体がそのまま洞窟内に葬られている。自然にミイラ化したその奇跡が信仰の拠りどころとなっている。
 地下墓地のうち「近い洞窟」の入り口となる十字架昇天教会の裏の建物。

 

 「近い洞窟」は約1.5キロの長さのうち一部だけが公開されている。

 

 「遠い洞窟」の入り口となるアンナ受胎教会までの通路を静かに進む。

 

 「遠い洞窟」の入り口のアンナ受胎教会。

 

 遺体はガラス張りの棺に入れられ聖衣が着せられている。頭のあたりには小さな肖像画と名前のプレートが掛けられている。
 多くの人たちが、一つ一つの棺の前で屈みこんで祈っていた。

 

 大鐘楼から見えたトラペズナ教会。
 19世紀後半に建てられた。修道院の創設者である聖アントニオスと聖フェオドスイを祀っている。

 

 トラペズナ教会の礼拝堂。

 

 教会横にある十字架。1911年にキエフ市立劇場で暗殺された帝政ロシアの首相ストルイビンの墓所。

 

 地下鉄に乗ってキエフ中心地まで戻った。フレシチャーチク通りという名のヨーロッパで一番短いメイン通り。

 

 フレシチャーチク通りを北上すると独立広場に出る。

 

 夕食はウクライナ料理。
 スープのボルシチ。ボルシチはウクライナが発祥の地。サワークリームかヨーグルトを入れて食べる。

 

 キエフカツ。バターを鶏肉で包んで揚げてある。

 

 店の名前は「タラス・プリバ」。

 

 十分キエフを楽しめた。嬉しかったのは、ホテルのスタッフがみんな美人で感じがいいこと。
 街中にはインフォメーションセンターがないため、ホテルに情報提供を頼らざるを得ない。たくさんのことを教えてもらったし、明日日帰り予定のチェルニヒウまでのバスチケットもネット購入してくれた。現地の情報が取れないから、バス停留所から近くのホテルまでの地図をプリントしてくれ、そのホテルで現地のマップをもらうといい、と教えてくれた。
 雑貨店に行きたいと場所を聞いたらその店まで送ってくれ、買い物に付き合ってくれた。
 みんないつもニコニコしていて、フロントに近づくと更にフレンドリーな表情をしてくれる。
 だからキエフの1日、1日がいい思いで過ごせた。

イレブン・ミラーズ ホテル