瑞巌山圓光寺は臨済宗南禅寺派の寺であり、徳川家康が国内数学の発展を図るために伏見に圓光寺を建立し学校としたのが始まりだ。圓光寺は相国寺山内に移り、その後この地に移転したという。
圓光寺学校では僧俗問わず入学が許可され多くの書籍を刊行しているが、その際に使用したという日本最古の木製活字も残されていて、これは興味深かった。
広い敷地の裏山には、徳川家康公の葉を埋葬した墓がある。
ここでも静かな時間が流れて行った。
ちょっと紅葉は早いが苔と紅葉と敷紅葉で有名な「十牛之庭(じゅうぎゅうのにわ)」