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毎年少しずつ年賀欠礼の枚数が増えている。自分たちの世代の親が亡くなる年代になったのだ。
中学時代の恩師からの年賀欠礼。84歳で夫を亡くされたそうである。 その欠礼には
『私も高齢になりましたので、これを機に年賀のご挨拶は終わらせていただきます。永い間の年賀のご挨拶をいただき、ありがとうございました。』
とあった。
父親を86歳でなくされたSさん。Sさんからは手紙でいただいた。それもSさんの父親の言葉でSさんが代筆したということの文章である。
『小生ことSは86年とちょうど4ヶ月使ってきた肉体が、とうとう寿命を迎え、これを処分することと相成りました。 肉体から魂が解放されることが、かくも清々しく充実したものとは思いもよらず、今は神の御名の下、小生の端子委は自由に世界中を駆け巡り、第二の人生を謳歌しております。(続く)』
この世での肉体が滅びるということ、残された人生をどう生きるかということを、その都度考えさせられる。 年齢を重ねる中で、少しずつ自分の人生の整理を始める一つの方法。またSさんのように、清々しさを感じさせる死は、何も恐れることがないのだとも思わせる。
こうしてちょっとしたご挨拶が、私にとっては宝物になった。 |
05:29, Thursday, Dec 19, 2013 ¦ 固定リンク
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