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1日かけて小さな旅。季節柄もあるかもしれないが、旅行者も少なく、日本人には誰一人と出会わなかった。
行先はジェラゾヴァ・ヴォラ。 ワルシャワ中央駅から鉄道でソハチェフ駅へ。そこからローカルバスで約25分のジェラゾヴァ・ヴォラ。ショパンの生家があるところだ。
1810年に生まれたショパンは、この生家で暮らしたのは生後7か月間だけ。その後ワルシャワへ移動し、20歳でポーランドを離れるまでワルシャワで暮らした。
ワルシャワ駅。日本とは違ったプラットホームの数え方でまごつき汗。 ソハチェフ駅では、バスを待つこと45分。 日本でなら、絶対にタクシーに乗っただろうが、急ぐ旅ではない。帰りの列車の時間を確認しながら、あっという間に時間がたってしまった。
ここからのバス。紙に書いた行先を運転手さんに見せてチケットを購入。 ジェラゾヴァ・ヴォラに来たら教えてほしい!と英語とポーランド語の会話。チンプンカンプン。 「ショパンミュージアム」という言葉をいっているのが分かったので、OKだろうと着席。近くの乗客が「教えてやるよ!」といってくれた。 バスを降りてから、一緒に降りた乗客が、ショパンの生家を教えてくれた。
ショパンの生家は現在博物館となっている。ショパンが生まれた部屋、ショパンが初めて書いた楽譜などが展示されていた。
広い敷地の中にショパンが生まれ生活した館が、ひときわ輝いていた。そしてグリーンシーズンには、1日中いても飽きないだろうと思われる公園になっていた。 イヤホーンガイドでショパンの曲を聴きながらの散歩は、ショパンのささやきが聞こえるようだった。
何年か前に、ショパンがジョルジュ・サンドと暮らしたマジョルカ島を訪問したことを思い出す。二人が暮らした館も落ち着く住まいだった。
ここジェラゾヴァ・ヴォラは、ショパンの39年の生涯をスタートさせた場所。『命』を感じさせる旅だった。
ワルシャワ中央駅
各ホームには、全列車の時刻が表示されている。右の画面は列車到着予定時間。左の画面は発車予定時間。見方が慣れると、この情報はとても助かる。
プラットホーム上に表示された列車。この「Tor2」の意味が分からなかった。説明を聞いて納得。
ソハチェフ駅(SOCHACZEW)
駅舎を出たらホッとなごむ機関車があった。
ショパンの生家
パン焼きの部屋
ショパンが生まれた部屋
ショパンの「ポロネーズ ト短調」の楽譜。
公園になっている庭にあるショパンの像
パリで亡くなったショパンの棺を、後になってこの場に移した。
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01:39, Thursday, Jan 03, 2013 ¦ 固定リンク
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