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峯村先生が県連会長時代に副会長だった吉澤利喜平先生(松本支部)の話。 『まさに「税理士会男」であった。輝くような存在であり、現在の税理士会の基礎固めをした人であった。税理士法改正、商法改正に関して見識高く、特に商法改正では、商法の中に初めて「税理士」が登場するきっかけを作った。』
峯村先生が県連会長時代の支部長だった森本幸夫先生(飯田支部)の話。 『自分の意思をしっかり持っている中で、周りの意見もしっかりと聞く方。』
県連事務局は、当初長野商工会議所の中に設けられたそうです。会員数約450人。今の2分の1です。県連規約は、昭和55年税理士法改正時に作成。第1回定時総会は飯田で開催。以後大町、信濃中野、長野と開催地が移動しました。特に長野での開催時には、当時の県知事である吉村氏が出席され、ご挨拶をいただいたそうです。
県連組織を国税局に認められるまでには、対外的な誤解や多くの困難があったことを初めて知りました。峯村先生や尾和郡司先生(上田支部)、瀬戸清明先生(諏訪支部)の人生を掛けた戦い・・といってもいいほどの活躍がありました。
瀬戸清明先生の話。 『健康・友愛・奉仕を大切にしているが、この奉仕とは、経験してきた人生を後世に伝えることだと思っている。どのような経緯で県連組織が出来上がったを伝えていく義務がある。これが奉仕である。』
当時の佐久支部長だった篠原捷四先生の言葉。 『税理士の品格、社会的地位を高めた方。』 そして篠原先生が峯村先生を偲んで詠んだ弔句。 『行く春や伸士の手本忘れまじ』
今県連副会長に就任して、県連の存在を重く受け止めています。 |
04:30, Sunday, Apr 24, 2011 ¦ 固定リンク
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