先日、福島市に住むクライアントで、高校教師をしながら小説を書いている人に電話を掛けました。 まずは家もご家族も無事だと聞いて一安心。でも、終始うめくような、搾り出すような声でこんなふうに訴えていました。
「今となっては、少し前までの『普通の暮らし』というのが想像できなくなってきた。 地震と津波だけならなんとか乗り切れるけれど、それにこれからも続く原発の問題と余震のことを考え合わせると、いったいどれくらい耐えられるか分からない。小説を書く気力も全く出てこない。」
もしかしたら私たちはこれまで、安楽な生活を「普通」にするためにそうとうの「無理」を掛けてきたのかもしれない、彼の話を聞いて、そんなことを考えました。
最後に彼はこう言いました。 「とにかく、祈っていてほしい。」
特定の信仰を持っているわけではない彼のこの「祈る」という言葉に、私はただならぬ実体感を感じています。 |