← |
2024年12月 |
→ |
日 |
月 |
火 |
水 |
木 |
金 |
土 |
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
11 |
12 |
13 |
14 |
15 |
16 |
17 |
|
19 |
20 |
21 |
22 |
23 |
24 |
25 |
26 |
27 |
28 |
29 |
30 |
31 |
|
|
|
|
|
ヴィクトール・フランクルという心理学者は、アウシュビッツの強制収容所を体験しました。代表作として「夜と霧」という作品があります。
彼の著書『それでも人生に「イエス」という』の中にこんなようなことが書かれています。
「強制収容所という極限状態で、人生に絶望するか、それでも人生に何らかの価値を見つけ出すかは、 『自分にとって生きることは何の価値があるか』 と考えるか、あるいは 『自分が人生から何かを問われている(託されている)』 と考えるかにかかっていた。 ある女性は 「自分には愛する子供がいる。そのこのために自分はどうしても生きなければならない。これこそが、人生が自分に託したことだ。」 と考え、ある男性は 「自分には仕上げなければならない論文がある。それこそが、人生が私に課した問いだ。」 と考えた。 二人とも、あるいはそれを果たしえずに、2〜3日で死んでいった。しかし確実に二人とも死の一瞬まで充実した生を生き切った。」
つまり、自分の計り方で、自分の役に立つ限りにおいて人生を考えるとき、人は絶望に至りかねません。 でも、人生が自分に何かの意味を課している、と考えるとき、そこに人生を高らかに肯定する力が湧いてくるのだと、私は思っています。
以上、長野法人会女性部で、「女性としての生き方〜輝いて生きるために〜」の講演内容の一部です。 |
05:06, Friday, Jun 19, 2009 ¦ 固定リンク
|
|